国語読解「行間を読む」ことの危うさ

国語の勉強法

こんにちは、金沢市国語塾です。

前回の記事では、お母さんお父さんがしている勘違いについて書きました。

それについて、ふと思い出したことがあるので、今回はそれに関連した話を。

いつ頃だったかは定かではないのですが、入塾希望の生徒と保護者の方と面談したとき、保護者の方から「この子は行間を読むのが苦手で……」というお話が出ました。

もちろん、いろいろな意味を込めての発言だったと思いますが、あえて、「国語読解では、むしろ行間を読まないほうが良いですよ。」と答えました。

なぜ、「行間を読む」ことが危ういのか?

  1. 主観の入りすぎによる誤読
    行間を読む際には、書かれていないことを「想像」する必要があります。
    その結果、読者自身の価値観や経験が過度に反映され、筆者の意図とは異なる解釈になることがあります。
  2. 根拠のない推測になりやすい
    文章に明示されていない情報を読み取るには、文脈や言葉の使い方から論理的に導く必要があります。
    しかし、論理的な裏付けがないまま「きっとこうだろう」と推測すると、読解ではなく妄想に近づいてしまいます
  3. 設問とのズレが生じる
    国語の試験では、設問に対して「本文に基づいた」答えが求められます。
    行間を読みすぎると、設問の意図から逸れてしまい、減点の原因になります。
  4. 筆者の立場を誤認する可能性
    皮肉や比喩、逆説的な表現を「行間」で読み取ろうとすると、筆者の本意を誤って理解することがあります。
    特に評論文では、筆者の論理構成に沿って読まないと、立場や主張を取り違える危険があります。

バランスが大切

決して行間を読むことを全否定するわけではなく、バランスが大切だと思います。

「行間を読む」ことは、文章の深層を理解するうえで重要な技術です。
ただし、それはあくまで「本文に根拠がある」読み取りであるべきです。

読解では、以下のような心構えが大事です

本文に忠実であること

論理的に読み取ること

まとめ

読解における「行間を読む」というのは、まず「本文に書かれていること」を正確に把握し、その上で、登場人物の言動や文の構造に注目して、「なぜこの表現が使われているのか?」と考えて得られるものであるという認識を持ってもらいたいと思います。

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